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第36話 言葉が通じないなら、二人で作ればいい

last update publish date: 2026-10-15 14:29:00

第36話 言葉が通じないなら、二人で作ればいい

 フィーネは泣きながら何度も口を動かしていたが、その声は、俺がこれまで聞いたことのない音の連なりへ変わっていた。

 兄と呼んでいるのか、怖いと訴えているのか、それとも御厨を止めてほしいと頼んでいるのか。表情や身体の震えから推測することはできても、本当の意味を確かめる方法がない。

「大丈夫だ。俺はここにいる」

 俺はフィーネを安心させようとしたが、日本語も彼女には届かなかった。

 それでも、何も言わずにいるよりはましだと思い、背中をゆっくり撫でながら同じ言葉を繰り返した。声の意味がわからなくても、敵意があるかどうかくらいは伝わるかもしれない。

 フィーネは俺の胸元へ顔を押しつけ、服を強く握った。

 リシアはそんな俺たちを守るように立ち、閉ざされた扉を睨んでいた。御厨の攻撃が加わるたび、皇族二人の術式で封じられた扉が鈍い音を立て、控えの間の天井から細かな砂が落ちてくる。

 このまま立ち尽くしていても、状況は悪くなるだけだ。

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    第36話 言葉が通じないなら、二人で作ればいい フィーネは泣きながら何度も口を動かしていたが、その声は、俺がこれまで聞いたことのない音の連なりへ変わっていた。 兄と呼んでいるのか、怖いと訴えているのか、それとも御厨を止めてほしいと頼んでいるのか。表情や身体の震えから推測することはできても、本当の意味を確かめる方法がない。「大丈夫だ。俺はここにいる」 俺はフィーネを安心させようとしたが、日本語も彼女には届かなかった。 それでも、何も言わずにいるよりはましだと思い、背中をゆっくり撫でながら同じ言葉を繰り返した。声の意味がわからなくても、敵意があるかどうかくらいは伝わるかもしれない。 フィーネは俺の胸元へ顔を押しつけ、服を強く握った。 リシアはそんな俺たちを守るように立ち、閉ざされた扉を睨んでいた。御厨の攻撃が加わるたび、皇族二人の術式で封じられた扉が鈍い音を立て、控えの間の天井から細かな砂が落ちてくる。 このまま立ち尽くしていても、状況は悪くなるだけだ。 御厨が扉を破る前に、始祖宮から脱出するか、反撃の方法を見つけなければならない。しかし、全員が自分だけの言語を話す今、どちらを選ぶか相談することさえできなかった。 アルベルトは床へ膝をつき、指で何かの術式を描いている。アルトはその隣から説明しようとしていたが、兄には言葉が通じない。アレクシオとヴァルガンも互いに声を荒らげ、自分の考えを伝えようとしているものの、話せば話すほど表情が険しくなっていた。 言葉が通じないだけで、少し前まで共に戦っていた仲間が疑い合い始めている。 御厨の狙いは、ただ会話を不便にすることではない。 相手が何を考えているのかわからない状態を作り、誰もが自分の推測だけで動くよう仕向ける。その推測が外れれば、相手の善意さえ敵意に見える。説明も謝罪も届かないまま、誤解だけが増えていく。「落ち着けと言っても、それすら通じないんだよな」 俺は自分の声が誰にも届かないことを承知で呟いた。 すると、リシアがこちらへ振り返った。 彼女は俺の言葉

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    第37話 三分後、世界からすべての名前が消える 空に浮かんだ銀色の数字は、百六十七から百六十六へ変わった。 一秒ごとに減っていく数字を見上げながら、俺は御厨が宣言した命令の意味を考えた。 声を奪い、名前を消す。 単に口から音が出なくなるだけなら、さきほど作った身振りや絵で補うことはできる。しかし、御厨は「名前」というものを、俺たちが普段使っている呼び名よりも広い意味で扱っている。 人が自分を自分だと認識するための境界。過去の記憶と現在の身体を、同じ一人の存在として結びつける意味。誰かを大切に思い、その相手をほかの誰でもない一人として呼ぶための印。 それらをすべて失えば、俺はリシアを見ても、愛する婚約者だと認識できなくなるかもしれない。フィーネは自分が俺たちの家族になったことを忘れ、アルベルトとアルトは別々の人間として生きることさえできなくなる。 新しい言葉を作る以前の問題だ。 俺たちは、自分が誰なのかという出発点まで奪われる。「止める方法はないよ」 黒い巨竜となった御厨の声が、夕暮れの空から降ってきた。 世界中の言葉が個人ごとに分断された今でも、御厨の日本語だけは俺へ通じている。自分だけが命令する側へ残るため、俺との会話も意図的に維持しているのだろう。「始祖竜の力、万象宣命、そして君から奪った万象通訳。この三つがそろったことで、私の言葉は世界そのものへ意味を与えられるようになった。いまさら簡単な絵を作ったところで、その絵を誰が描いたのか、自分が何を意味として受け取ったのかさえ忘れる」「お前は忘れないのか」「もちろんだ。命令を出す者が自分の名を失えば、世界の秩序を維持できないからね」「随分と都合のいい秩序だな。世界中の名前を消して、自分の名前だけは残すのか」「誰か一人が基準にならなければ、共通の意味は成立しない。私が唯一の声となり、唯一の名となる。その声に従う限り、誰も誤解せず、誰も裏切らず、争う必要もない」「それは言葉じゃない。ただの命令だ」「言葉は、相手を動かすために生まれた

  • 「通訳しかできない役立たず」と追放された俺、敵国の竜皇女に拾われて婚約者になりました    第35話 彼女の言葉が、もうわからない

    第35話 彼女の言葉が、もうわからないリシアが俺の手を握り、必死に何かを話している。声は聞こえていた。いつもと同じ、少し低くて凛とした声だ。怒っているときは速くなり、心配しているときは語尾がわずかに揺れる。何度も聞いてきた声なのに、いまは意味だけが抜け落ちていた。彼女の唇から流れる竜族の言葉は、知らない音の連なりとして耳へ入ってくる。魂語も聞こえない。表向きの言葉と本音が食い違うたび、どちらへ返事をするべきか悩まされてきた。聞こえなければ楽なのにと思ったことも、一度や二度ではない。けれど実際にすべてが消えると、楽になるどころか、足元が崩れたような恐怖しかなかった。「リシア、何を言ってるんだ。もう一度、ゆっくり話してくれ」俺が日本語で頼んでも、彼女には伝わらない。リシアは眉を寄せ、今度は言葉を区切るように、ゆっくり話した。それでも意味はわからなかった。「無駄だよ」御厨統馬だけが、俺の知っている日本語で話しかけてきた。発音も、言葉の間も自然だった。四百年前の人間とは思えないほど、現代の日本語に近い。俺から奪った万象通訳が、時代による言葉の違いまで埋めているのだろう。「万象通訳は、単語の意味を置き換えるだけの力ではない。相手が何を伝えたいのか、言葉になる前の意思まで読み取り、君が理解できる形へ変換していた。魂語を聞けたのも、その力があったからだ」「返せ」「返す理由がない。これは本来、私の万象宣命を完成させるために作られた力だ。君は器として育てられ、必要な意味を集める役割を果たしたにすぎない」「勝手に役割を決めるな。俺はお前のために誰かの話を聞いてきたんじゃない」「だが、結果として君は私に必要なすべてを集めた。人間の言葉、竜族の言葉、古代魔術の文法、魂へ直接届く声。君が築いた理解の道は、いまや私のものだ」御厨の胸に埋め込まれた銀色の核が強く輝いた。その光へ吸い込まれるように、俺の中に残っていた言葉の感覚がさらに薄れていく。

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    第34話 「この子は私の心臓だ」と聖王は笑った銀色の鎖がフィーネの胸を貫いた。血は流れなかった。けれど、小さな身体が大きく仰け反り、口から悲鳴がこぼれる。胸元から引き出された銀色の光が鎖を伝い、御厨統馬の身体へ埋め込まれた核へ吸い込まれていく。「フィーネを離せ!」俺は床を蹴り、御厨へ飛びかかった。戦い方など知らない。剣も持っていない。それでも目の前で妹同然の少女を奪われて、通訳だから後ろにいるべきだと考えられるほど冷静ではなかった。伸ばした指先がフィーネへ届く直前、見えない壁に身体を弾かれた。胸を殴られたような衝撃が走り、俺は床を転がる。息ができずに咳き込んでいると、御厨が俺を見下ろした。「相変わらず、自分にできないことを考えずに動く。君には戦う力がないと、何度も教えられたはずだろう」「できるかどうか考えてる間に、フィーネが消える。だったら失敗しても動いたほうがましだ」「その結果、君まで倒れれば、仲間に負担を増やすだけだ」「正論を言えば、子供を苦しめてることが正しくなると思うな」起き上がろうとした俺の前へ、リシアが立った。彼女は俺を守りながら、御厨と腕の中にいるフィーネを見つめている。「その子を返せ。フィーネは始祖竜の心臓などではない。私の妹だ」「お前が勝手に家族と呼んでいるだけだ。この子が生まれるよりはるか以前から、始祖竜の核は私の中にある」御厨は自分の胸へ触れた。竜の骨で作られた王衣の隙間から、銀色の核が見える。それは心臓のように規則正しく動いていたが、鼓動するたび、御厨の胸から黒いひびが全身へ伸びていく。核がなければ、四百年を生きた身体は一瞬で崩れてしまうのだろう。「四百年前、私は始祖竜の名前を手に入れた。だが、その力のすべてを支配できたわけではない。心臓に残っていた意思が、私へ従うことを拒んだからだ」御厨がフィーネの髪を撫でた。少女は苦しそうに顔を歪め、逃れようと身体を動かし

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    第33話 二人の皇太子、消えるのはどちらか黒い光が二人のアルベルトを飲み込み、始祖宮の大広間を激しく揺らした。床に刻まれた術式から何百本もの光が立ち上がり、二つの身体を糸のようにほどいていく。罪悪感を抱えた本来のアルベルトと、国を救うという目的だけを残したもう一人のアルベルトは、光の中で混ざり合い、やがて一つの人影へ戻った。黒い光が収まる。そこに立っていたのは、たった一人のアルベルトだった。髪も瞳も、リシアと同じ竜族皇室の色を取り戻している。身体を覆っていた傷も消え、服装も皇太子の正装へ変わっていた。外見だけを見れば、分裂する前の完全な第一皇子に見える。「お兄様」リシアが呼びかけた。アルベルトはゆっくり妹へ顔を向けたが、その目に懐かしさはなかった。「その呼び方は、いまの私には必要ない。国を救うために不要な関係は、すべて整理する」リシアの表情が凍りつく。「では、残ったのは……」「目的を持つ私だ。罪悪感に支配され、自ら消えることを望んでいた弱い半身は吸収した。これで私は完全な皇太子となった」アルベルトは始祖炉へ手を向けた。炉を囲む黒い鎖が一斉に脈打ち、皇都中から集めた名前をさらに強く吸い上げ始める。大広間の壁に、街の様子が映し出された。道を歩いていた竜族たちが次々と膝をつき、自分の名前を思い出せなくなっている。親が子供を呼ぼうとしても声が出ず、兵士たちは所属も守るべき相手も忘れ、始祖宮の命令だけを待つ人形へ変わろうとしていた。「やめろ!」リシアが兄へ飛びかかった。アルベルトは片手を振っただけで、彼女を弾き飛ばした。アレクシオが倒れかけたリシアを受け止め、俺はアルベルトの前へ走った。「本当に、もう一人は消えたのか」「彼は自分で望んだ。国を救うために消えられることを、最後まで喜んでいた」「それは答えになってない。俺が聞いているのは、完全に消えたのかどうかだ」

  • 「通訳しかできない役立たず」と追放された俺、敵国の竜皇女に拾われて婚約者になりました    第32話 恋敵の竜公爵は、俺を殺したくない

    第32話 恋敵の竜公爵は、俺を殺したくない炎をまとった竜の爪が、俺の首へ振り下ろされた。避けられない。そう思った瞬間、銀白の影が目の前へ飛び込んだ。リシアは光の枷が残る両腕を持ち上げ、アレクシオの爪を正面から受け止めた。赤い炎と銀白の炎が衝突し、始祖宮の大広間を揺らす爆風が巻き起こる。「リシア、どけ!」アレクシオが苦痛に顔を歪めた。「この身体は、遥人を殺すまで止まらない。お前を傷つけるなという命令は受けているが、攻撃を邪魔する者まで無事で済む保証はない!」「ならば、なおさら退けない。私の婚約者を殺させるわけにはいかないし、私のためにお前が人を殺すところも見たくない」「そういう言い方をするな。まるで私が、お前への未練で人間を襲っているようではないか」「違うのか?」リシアが問い返すと、アレクシオは一瞬だけ言葉を失った。その隙にも命令は彼の身体を動かし、竜の爪がリシアを押し込んでいく。床の石がひび割れ、リシアの靴が後方へ滑った。彼女は魔王の紋章によって力を奪われているうえ、両手には俺がつけた光の枷まで残っている。「リシア、その枷を外す!」「最初から外しておけ!」俺が勇者の紋章へ意識を向けると、光の枷が消えた。自由になったリシアはアレクシオの腕を外側へ受け流し、そのまま俺の襟をつかんで後方へ放り投げた。「乱暴すぎるだろ!」「首を刎ねられるよりはましだ。文句は生き延びてから聞く!」床を転がった俺のすぐ横へ、アレクシオの炎が突き刺さった。石床が溶け、赤く泡立つ。あと少しリシアに投げられる力が弱ければ、俺は首どころか上半身を焼かれていた。「悪いが、次は外せそうにない!」アレクシオは自分の腕を止めようと、反対の手で押さえ込んでいる。それでも黒い鎖は容赦なく彼を引きずり、俺との距離を縮めてきた。リシアが再び間へ入ろうとすると、床から何本もの鎖が伸び、彼女の翼と両足へ巻き

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